今月の熊G 2026年7月
今年もプールが始まった。6月30日に父母会のお父さん、お母さんが集まって暑い中プールの組み立てをやってくれた。おかげで子どもたちは真夏でも外でたくさん身体を動かせる。だからよく食べ、よく寝ることができる。前園長は「子どもは夏に水をくぐって成長する」と言っていた。最初は顔に水がかかるのもビビってた子が夏の終わりには両生類みたいになっている。毎日のプール遊びの中でそれぞれの子が小さな挑戦をいくつも重ねて自信をつけていくのだろう。
さて、ピヨでウルトラマンの話題を出すのはちょっと気が引けるが、大人の話と割り切って聞いてもらいたい。こないだ新聞にある人の思い出が載っていた。熊Gと同年配のその女性が幼稚園のとき、男の子の間でウルトラマンごっこが流行っていた。園庭を舞台にウルトラマンと怪獣が戦ったり、ジャングルジム型戦闘機にみんな乗って飛んで行ったりしていた。その女の子もやりたかった。ウルトラマンが大好きだったのだ。男の子ばっかりだったけどどうしてもやりたかったので勇気を出して私も仲間に入れてと言った。すると以外にも「いいよー」と言ってくれた。ところが「○○ちゃんは女だからアンヌ隊員ねー」と言われた。アンヌ隊員はウルトラセブンに出てくる紅一点の隊員だ。仲間に入れてもらって毎日それなりに楽しんでいたが、本当はジャングルジムのてっぺんでパイロット役をやりたかった。男たちはかわりばんこに操縦してるのに「女は隊長じゃないからダメ」とさせてもらえなかったらしい。くやしくて「やめてやるー」と言って抜けたそうな。
ピヨの子どもたちもごっこで遊んでいる。わたしお母さん、ボクお兄さん、オレ犬、とか言って家族ごっこしてたりする。
保育園児にとって遊びは大切な活動だ。でもひとくちに遊びというが就学前の子どもにとって遊びとは何なんだろう。
ウルトラマンごっこに象徴されるように、遊びは非現実的な欲望を実現するための手段といわれている。つまりウルトラマンになりたいけどありえないので虚構の世界でウルトラマンになりきることで欲望を実現するということ。家族ごっこもお母さんになりたいという欲求が動機になっている。泥んこをフライパンで料理して友だちに食べさせてるのも自分は虚構の世界でのお母さん、いやお父さんかな。
このような「○○になりたい」を動機とした虚構の場面を楽しむ遊びにはルールがある。つまりお母さんらしく振舞うとか、小さい子らしくしゃべるとか、犬みたいに四つん這いで吠えるとか。ルールがあるから虚構が成立する。ルールに従わない子がいると遊びがつまらなくなる。このように虚構的場面による遊びにはその場面から生まれてくるルールが必ずある。ルールがあるから楽しいし、我慢する必要があるから得るものもあるのだ。たとえば誰かの家でお医者さんと患者という虚構的場面の遊びをしているとき、おやつにペロペロキャンディ(例えば!)が出てきたとして、普段ならすぐになめちゃうところを、お医者さん役が「これは毒が入ってるから食べられません」といえば患者役はがまんする。いつもだったらお母さんがダメよと言ったって我慢できないのに遊びだと食べない。それは遊びを始めたのもルールをつくったのも子ども自身だからだ。このような自己抑制、自己決定のルールは、親からもたらされる外的ルール、道徳的規制とは異なって遊びのために必要だということを子ども自身が理解しているから守られる。「子どもは遊びの中ではいつも、自分の平均年齢よりも上になり、自分の日常のふるまいよりも、高いところにいる。つまり遊びでは、子どもは自分よりも頭ひとつ背伸びする。(中略)遊びは発達の源泉であり、発達の最近接領域をつくりだす」(ヴィゴツキー『子どもの精神発達における遊びとその役割』1933)
ところで、ウルトラマンは何歳だと思う?答えは還暦。熊Gの3つ下。この7月17日で初代ウルトラマン第1回放送から60年になる。そういえばウルトラマンは赤いちゃんちゃんこ着てるね。
熊倉洋介

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